優しい人にならなくていい

生き方

優しい人になりたいですか?

子供の頃に人の痛みが分かる優しい大人になりましょうと言われたことがある人もいると思います

ですがそのような人になれたとして本人にとって幸せなのかどうかは別問題です

優しいことが原因で人に振り回されてしまう人もいるからです

それでも優しい人を目指さないといけないのでしょうか?

優しさとは曖昧なもの

そもそも優しい人とはどのような人のことを言うのでしょうか?

誰の言うことにも反論せず言うことを何でも聞いてくれる人のことでしょうか?

それとも厳しくても自分のためになることを言ってくれる人でしょうか?

人によって優しさの感じ方は違います

優しいかどうかは優しさを受け取る側に委ねられているのです

なので万人に認められる優しい人というものにはなることができないのです

人を傷つけないことが優しさではない

相手に対して従順でいることは相手にとって居心地の良い優しさかもしれません

ですが時には相手を引っ張っていってあげる優しさも必要です

受け身の優しさだけでなく自主的に相手のことを思って行動する優しさも持つことが大切です

受け止める優しさと相手を導く優しさをバランスよく持つことが必要です

受け止める心と引っ張っていく強さを使い分けられる人

優しさとは大きく分けて相手の言うことを静かに受け止めるものと相手を導いてあげるものがあります

受け身なのか能動的なのかということです

この2つを上手に使い分けられる人が世間一般的には優しい人だと認識されやすいです

この2つのバランスが崩れているとたとえどんなに相手の言うことを受け止める人でも優しいとは感じられません

優しいというよりも優柔不断に見えたり自分に対して関心が無いのかなと感じてしまいます

反対に相手を引っ張っていく気持ちが強い人も優しい人とは認識されにくいです

相手のためと思って行動しても相手にとって余計なお世話だと感じたり過干渉だと感じたりします

受け身な優しさも能動的な優しさもやはりバランスが大切です

相手のことをどれだけ分かってあげられるか

受け身の優しさも能動的な優しさもどちらか1つだけではダメです

その優しさを使い分けるには相手の求めているものを分かってあげることが大切です

例えば相手が失恋で落ち込んでいる時に何をしてあげればいいのかは相手の状態によります

ただ静かに話を聞いてあげた方が良いのか、または気分転換になるようなことをしてあげた方がよいのか

それを判断するには相手の求めているものを分かってあげることが必要です

その判断が上手な人ほど優しいと言われる人なのです

相手のことを理解してあげられる人

相手の状態を深く理解して求めていることをしてあげられる人というのは感受性が高い人です

感受性が高い人は相手の表情や些細な言動で相手の気持ちを理解しやすく、相手の求めているものが自然と分かってしまいます

感受性の高さというのは個人差がありますし、生まれついて持った気質なのでなかなか変わることはありません

なので優しくなりたいと思ってもなれるものではありません

優しい人のデメリット

優しい人は良いことが多いように思われますがそれと同じくらいデメリットもあります

それは相手の気持ちに感化されやすいということです

相手の気持ちが分かるからこそ相手に寄り添い過ぎてしまうのです

例えるなら相手を幸せにしてあげている分、自分を犠牲にしているようなものです

なので優しい人になるというのは多少なり自分を犠牲にしてしまうということなのです

まとめ

優しい人は感受性の高さからきている気質なのでなりたいと思ってなれるものではありません

それに優しい人というのはその優しさから相手に合わせてしまったり、時に利用されてしまうこともあります

私は優しくないと思っている人は無理に優しい人になることを目指すよりも今の自分で良いんだと思うことが大切だと思います

優しい人には優しい人の苦しさがあり、そうでない人にはそうでない人の良さがあります

自分の気質を大切にしてそのままの自分でいることを受け止めるようにしていきましょう

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