自意識過剰?感受性の高さとの向き合い方

生き方

感受性という言葉を聞いて皆さんはどのように感じますか?

情が深いのかな?とかいろいろな事に繊細なのかな?とか漠然とした印象があると思いますが、感受性の言葉の意味としては「外界の刺激を受け取る能力、物を感じる能力」です

感受性の高さは人によって全く違いますし、何に対して感受性が高いのかも全然違います

例えば人の感情を読み取る能力が高い人もいますし、耳から入る刺激が敏感な人もいます

感受性が高すぎると生きずらい

感受性が高いということは外から受ける刺激に敏感ということです

例えば人の感情に敏感な人は直接自分に対して言われたことではなくても自分のことのように捉えて悲しんだり苦しくなってしまいます

他の人からしたら気にしすぎと思われたり心が弱いと思われるようなこともあると思います

ですが感受性というのは個人差があるので他の人には理解できない感覚なのです

例えるなら同じ気温でも痩せている人は肌寒く感じる気温でもふくよかな人ならば温かく感じるようなものです

感受性が高いというのは刺激に敏感で刺激に苦しめられる場面が多い人なのです

刺激から離れることが大切

感受性の高さによって苦しんでいる人の中には自分に非を感じている人も少なからずいます

こんな些細なことで疲弊している自分が悪いと感じて自分を責めてしまう人などです

ですが感受性の高さによって受けている刺激はどうしようもありません

常に体に針を刺されて平気でいろというのと似たようなものです

それならば感受性の高い人はどのようにすれば良いのでしょうか?

答えは「刺激から離れる」です

人から受ける刺激に弱い人は人と合う回数を減らしたり、合っている時間を減らすことで刺激を減らせます

耳から入る刺激に弱い人はヒーリングミュージックをイヤホンで聞いたり、嫌な音がするところから離れることが効果的です

まとめると刺激には向き合うのではなくて離れることが正解だということです

自分の生きやすい生き方を選ぶ

世の中には幸せと思われる行為や幸せを感じる物があります

例えばお金であったりブランド品を持っていること、たくさん海外に行ったことがある、親友や友人の多さ、社会的ステータスだったりなどです

それらは一般的には幸せと言われるものに分類されるものです

ですがそれが自分にとっての幸せなのかどうかは別です

例えば本来ならば400円の牛丼が好きな人にとって2万円のフカヒレスープはたいして嬉しくないものなのですがなぜかタダで貰えると言われるとフカヒレの方を選んでしまう人がいます

これは自分にとっての幸せというものとは別に他人の価値観というものに感化されているからです

この他人の価値観というものに流されていると感受性の高い人は生きずらいと思います

なぜなら自分の幸せと他の人の幸せは違うからです

感受性の高い人は他の人より少しの幸せでも充分満足を感じられます

海外に行かなくても近くの公園で幸せを感じられたり、大人数で集まらなくても二人きりでゆっくりいるだけで十分楽しいと感じられます

それなのに人の価値観で幸せを選ぶのは遊園地の乗り物で自分はメリーゴーランドで十分満足なのに皆が乗りたいというからジェットコースターに乗るようなものです

あなたにとっての幸せは何か他の人の価値観に流されないでゆっくりと見つけていきましょう

刺激のない環境で見つかる幸せ

感受性の高い人はいろいろな刺激に流されて自分の生き方が分からなくなってしまいがちです

例えるならば毎日罵詈雑言を言われ、雨風に打たれている状態で幸せを探そうとしても、自分の幸せに意識は向かないと思います

まずは自分の幸せを感じるために刺激のない環境を作ることです

人と合うことを最低限に減らして、テレビやネットの情報から離れて、静かで一人でいられる時間を作ることです

感受性の高い人は他の人と同じように生きていても苦しいことが多いばかりでなかなか幸せを感じにくいです

1度自分のいる環境を客観的に見て刺激を減らして自分の幸せを探してみてはいかがでしょうか

生き方
スポンサーリンク
シェアする
syo-5をフォローする