刺激に弱いから人に流されないように生きている

日記

私は刺激にとても弱いです

目から入る光の刺激や痛みの刺激に弱いのはもちろんですが人の感情から受ける刺激にもとても弱いです

例えば人の顔を見るとその人の感じていることが理解できたり、人の話す言葉の抑揚でその人の心の状態が分かったりします

なので感情的な人と一緒にいたり、複数の人といたりするとそれだけで疲れ切ってしまいます

大人になるまでは自分がおかしいのかなと思ったりもしましたが今ではHSPという性質の人がいると知って合点がいくようになりました

刺激を受けやすい私ができないこと

私は人から受ける刺激にとても弱いのでできないことがいくつかあります

例えば電話であまり親しくない人と話をすることなどです

私は人の感情を目からの情報で感じるのが得意なので相手の見えない電話などの声だけの会話になると相手の感情が気になってとても不安になります

他にもパーティーやお葬式なども苦手です

パーティーはひとりひとりの感情が高ぶっているのでその刺激が強すぎて頭がくらくらしてきます

お葬式はたくさんの悲しみや寂しさなどの負の感情がたくさん流れ込んでくるので自分が遺族と同じくらい落ち込んでしまいます

人と同じようには生きられないから自分の生き方で生きていく

私は少しの刺激でも頭痛や落ち込みや過労などになってしまいます

なのでたくさんの人生のイベントを避けて生きてきました

例えば友達と旅行することや仕事の仲間と飲みに行くことや恋愛やたくさんの人と繋がることです

20歳前後の頃は友達から旅行に行こうと誘われたり飲みに行こうと誘われたりしましたが、どうしてもたくさんの刺激を受けることがつらくて断っていました

多くの人たちは20歳くらいの時にはたくさんの人と繋がって色々な刺激を受けて人生を謳歌している頃だったでしょう

ですが私は仕事場と家の往復だけをするという中年のサラリーマンのような生活をずっと続けてきました

その生き方が情けなくて悔しいと思っていましたが刺激に弱い私は独りでいることしかできなかったのでずっと誰とも繋がらない生き方をしてきました

歳をとって少しだけ楽になった

若い頃の私はずっと感度の良すぎる心に振り回されていました

ですが今はある程度歳をとって徐々に心の感度が衰えてきました

人の表情をあえて読み取らない術も身についてきましたし、人の価値観に流されないでいる大切さというのも分かるようになりました

人から言われた嫌なことも昔は何年も心に刺さっていましたが今は数日で忘れてしまえるようになりました

多感な年齢を越えてようやく過敏すぎる心が少し制御できるようになりました

繊細で刺激に弱い心で生きていく

繊細で敏感な心を持つということはとても生きずらいです

図太い心になりたいと何度も思いました

ですが持って生まれた心は変えることはできません

刺激から逃げている自分を変えることはできませんでした

ですがそんな自分でもいいと思えるようになりました

それはありのままの自分を受け止めてくれる人がいるからです

ありのままでいいと言われるのはとても幸せなことです

それからこの繊細な心の良さが分かるようになりました

私だから誰かを幸せにできることや私にしか感じられない幸せがあることです

今ではこのままの繊細で刺激に弱い自分で生きていこうと思えています

日記
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