私は人より秀でた特別な才能などありません
若い時には皆ひとつは何か才能があるという考えを信じて色々なことを試してみました
学生の頃は人並みにスポーツをしていましたが人より優れたものはありませんでした
大人になってからも資格の勉強やコミュニケーションの勉強などもしましたが何か優れたものが見つかることはありませんでした
年々私は自分の能力の限界を知るようになりました
壁にぶつかり凡庸だと知る
何度も自分の才能を見つけるために挑戦して、その度に壁にぶつかり心が折られてきました
今は私のできる範囲の中で精一杯頑張っています
昔の自分から見たら憧れるような現実にはなれていません
他の人から見たら私は凡庸です
ですが凡庸な人生の中でも力の限りもがいて生きています
凡庸の幸せ
凡庸の私は才能のある人のように特別なことはできません
高尚な趣味などに興味を持てませんし、華麗な交友関係等もありません
ですが凡庸な人には凡庸なりの幸せがあります
夏の空の雲の高さに気持ちが高揚したり、些細な優しさに嬉しくなったりします
この感覚は強い刺激の人生を送っている人にはなかなか感じられにくい幸せだと思います
私が思うのは他人の「幸せ」は自分の「幸せ」と違うということです
他人の幸せをマネしても自分の幸せは見つからない
他人が幸せだと言って満足気に話すことは見ていて羨ましいと思います
なので自分も同じように行動してみるのですがなぜか同じようには幸せを感じられません
私が勘違いしていたのは幸せとは皆同じだと思っていたことです
私は凡庸です
それならば凡庸の幸せを求めなければいけなかったはずです
それなのに私とは違う感性の人たちの幸せを追い求めていました
私の幸せはたくさんの高揚を感じるような刺激や溺れるよう悦楽ではありません
澄みきった空気や優しい日の光を浴びたり、大切な人と共に穏やかな心でいられる環境が私の求めている幸せです
幸せになれない人へ伝えたいこと
幸せになりたいと思っている人で今現在幸せではないと思っている人へ伝えたいことがあります
それは「あなたが幸せだと思っていることは本当にあなたの幸せですか?」ということです
幸せだと思ってしていることが実は他の人の幸せのマネであったりしていませんか?
友達が旅行しているから自分も旅行しようと思ったり、高級なものを買ったことを自慢されて自分もそのものを欲しいと感じたりしていませんか?
例えば高級なブランドを買っている人たちと全く繋がりがなければ自分も同じものが欲しいとは思わないのでしょう
幸せになりたいのならまずは自分の幸せとは何かを知ることです
他人の幸せは自分の幸せと同じではありません
自分の幸せを見つけられたならあとは幸せになれる行動をするのみです