子供の頃から勉強をすることや偏差値の高い学校に行くこと、優良企業に勤めることが良いことだと思っていました
確かにその価値観が当てはまる人が多くいることは事実です
他の人と比較して優越感を感じることや人生の選択肢が広がるということは幸せの1つだと思います
ですが私はこの価値観になることはできませんでした
コロナ社会になって分かった自分の価値観
コロナウイルスが蔓延してソーシャルディスタンスをとることやステイホームなどの人との距離をとる社会が浸透してきました
テレビなどのインタビューを見ると人と会えないからストレスが溜まるという意見や誰かと話したいという意見を目にすることがあります
私も高齢者施設で勤務しているので人と接することに対しては人一倍気を使っています
コロナウイルスが広まってからは家族以外の人と外で会ったことはありません
ですが私はそれがストレスに感じることがありませんでした
私は人と会わなくても平気というか、むしろたくさんの人といる方がストレスを感じるのだと思いました
思い返せば以前足を骨折したときに家で2か月引きこもって療養していたことがありますが、その時もストレスはありませんでした
根っからの引きこもり
私はたくさんの人と繋がることやパーティーや飲み会などの感情の刺激を受けることが苦手です
物心ついたころからずっとそうでした
私の昔からの理想の生き方は引きこもりでした
世の中には引きこもりに対して甘えがあるから引きこもっているんだという考えや何かトラウマがあるから引きこもっているんだという考えがあります
ですが私はどちらでもありません
私は刺激を受けることが苦手で自分の心が一番元気でいられるのが引きこもっている状態なのです
今の私は他人から見ると正社員として収入を得て社会の一員として健全なように見えますが、私の心は自分の気持ちを押しころして社会の歯車の一部として動かされていて奴隷のような気持ちです
引きこもりの想い
私の現状を言い現わすと引きこもれない引きこもりです
ようするに引きこもりたいけど生活するためにお金が必要だから働いている状態です
世間一般には働いていることは正しい、引きこもっている人は良くないという考えの人もいますが、全ての人が同じように社会に出て働き続けることはできないと思っています
引きこもりの人が引きこもり始めた経緯はいろいろあると思いますが、私のように本質的にこの社会に適応することが苦手で引きこもるという人もいると思います
そのような人が何も理解していない人から引きこもらないで他の人のように働かないといけないと言われるのはとても苦しいことだと思います
私の理想
安倍政権の時に1億総活躍社会という言葉が出てきました
全ての国民が家庭や会社、地域で活躍できる社会の実現を目指しているのだそうです
私の思いとしては全ての人が会社や何かしらの資本主義の歯車の1つにならないと生きていけない世の中ではなくて引きこもっていても誰かの支えになれたり誰かの役に立てるような社会になればいいなと思っています
人にはそれぞれ個性があります
今の社会に適応している人や適応できない人それぞれが同じように幸せを感じられる社会であればいいなと思います